聖王ルイ序文
WORKS EXCERPT
信仰しないものは、生きるためには、考えないようにせざるをえない。彼の思想は倒れようと憧れ、彼の肉体は、彼の意思に反しても信じ、かくして彼を救うのである。
「私は存在する、ゆえに私は信ずる。」
*
「主よ、私は汝に対して希望をかけた。永遠に混乱せしめたもうな。」
「信仰は、心から、世界をとらえること、感覚の塵埃をもって満足しないことにある。
理性の人間が見た世界のと信仰の人間が見たそれとの距たりは、―女を見て渇望するものとその女を妻とするものとの違いである。
いっさいの生は信仰の行為である。信仰なしには、生はたちまち崩壊するであろう。強固な魂は時間の動揺常なき土の上を歩む、ペテロが湖水の上を歩くように。信仰をもたないものは沈む。
「他の生への希望を持たぬ者は、すでにこの生から死せるなり。」
(ローランド・ド・メディシス)
*
「神は仮説ではない。(仮説は、せいぜい、われわれが神に与える形態である。)神は一つの必要性である。―われわれの本性の必要性であり、われわれの精神を支配する法則の秩序の必要性である。どうしてわれわれはわれわれの本性の法則をまぬかれることができようか?すべての存在にとって幸福はその法則に抵抗して戦うことではなく、その法則と合体し、ストア学派の人々と同じやり方でそれに同化そることである。ストア派においては事物が精神の自由と合一していたのである。
信じることの必要はわれわれの生の行為の一つ一つに内在している。われわれはわれわれの生命の信仰を、われわれを囲むいっさいに吹きこむのである。そのいっさいをわれわれの尺度に合わせることによって。それはわれわれの権利であり、われわれの義務である。もしも動物がものを考えるとしたら、世界は彼らの要求をみたすために作られたのだと彼らは信ずるだろうと、人は嘲笑していった。それでは何故いけないか?存在するいっさいは、もっとも卑しい者らにも、もっとも高いもののためにも存在するのである。すべての存在は永遠の『生命』に参加する、しかし彼らの力に従ってするのである。自分の身体の絆から脱して、その永遠の生命に浸りうるものは幸いなるかな!
存在は自己の法則を創る、と人は言う。むしろ法則が存在を創ったのではどうしていけないだろう?―しかし、一つの存在の法則はその存在の生命の形である、と人は言うだろう。―それはそうだ!しかしどうしてそれは一つの形をとったのか?―それ(形)なくしてはそれ(生命)は全く存在しないはずだ。―しかし誰がそれに存在を強いたか?―若干の条件だ。―従ってその存在を創ったのはそれらの法則である。
それらの法則を創ったのは誰か?原子の運動と偶然の戯れか?しかし誰が原子をつくったか、運動を、偶然を?―それらは永遠に存在したのである。―その永遠というのは何か?宇宙がいかに広大であるにしても、始まったはずである。始まったのでなかったら、『
永遠』が存在するからである。―始まったのだったら―なおさら確かにそうである!」
*
(この後に、物質の永遠性、運動、意識に関する長い思索がつづく。―「一つの品質でないもの、そのものであり、屈折の中心であるもの、―約されない素数、―いわば、分割できない原子である……」)
*
われわれの信仰はわれわれの力の尺度である。なんとなればわれわれの信仰の偉大さはわれわれの存在の身長によるものだからである。私がより多く存在すれば、いっそう私は信ずるのである。
*
(次のノートはいっそう直接に『聖王ルイ』に関連している。)
「神はそれを欲する!―民衆を引きつれて行くこの息吹……
民衆の中にとるとしても、それは今日国家と国家とを衝突させているものとあまりちがわないのである。しかしこの盲目的な推力のもとに、人はすでに力強い一つの信仰をみとめる。三つの要素―(一)行動(二)献身(三)希望。―それらはヨーロッパの民族たち
を十字軍へと率いてゆく。そしてそれは信仰のもっとも高い行為の中の三つである。自由に、全的に彼を行動に―しかもなんという行動に!―引き入れるまでにその存在を信じるのである。犠牲に身をささげる―しかしなんと高い生のためだろう!
もっとも高貴な人々―諸侯や国王の場合には、より反省をともなった。より美しい感情が伴う―主にたいする(主人物の)崇拝、世界でもっとも悲哀ふかいもの、彼の主の苦悩にたいする悔悟、その苦悩を償いたいという渇望である。それはみな正しく真実である。『聖地』における戦いによる、永遠の生命への彼らの希望もまた正しく真実である。この思想のための献身は、たとえ思慮が十分でなくとも、たとえ誤っていても、人間的条件の上に高め、永遠性に参加させるのである。
最後には、神自身の意思にたいするそれらの人物たちの信仰と、人間の行為にたいする神の意志の関与の問題がある。―しかし神的なものに行動的な生命を付与することなしに、それを信ずることが強力な人格にとってできようか?『精神的な』英雄、善の英雄は、自分と同じような精神的な人格、自分よりもさらに力強い人格、自分が生涯においては手を染めることしかできないことを成し遂げうるような力をもった人格を信じないではいられないであろう。自分の目的と自分の仕事に自然全体を結びつけないような者は偉大な人間ではない!」
*
(次に『……』とジュリー・ド・レスピナス[才気をもって知られた18世紀のサロンの女主人]
からの引用がある。―それはこの問題からはまったく予期していなかったことであるが!…しかし、私にとっては、信仰をもつだけでは十分ではなかった。情熱的に信仰をもつ必要があった。)
「合理的な情熱しかない。」―「中途半端なものほど、決まらないことほど、私の嫌いなものはない。」
した信仰の激しい「弁明」の極点は一八九四年十月ノートに確言されている。
「カトリシスムによって教えられた教義の全体は、理性のみによって、理性のみの上に建てられたすべての教義よりも、真実であり、あるいは真理により近いのである。―それは、それらの真理が『啓示され』、神から人間に伝えられたからというのではなく、それは幾世紀このかた、信仰を有する人々の中でももっとも偉大な人々―人類の中でもっとも聡明な人々、真に聡明な唯一の人々によって考えられ、練り直され、議論されたからである。」
聖王ルイ序文
信仰しないものは、生きるためには、考えないようにせざるをえない。彼の思想は倒れようと憧れ、彼の肉体は、彼の意思に反しても信じ、かくして彼を救うのである。
「私は存在する、ゆえに私は信ずる。」
*
「主よ、私は汝に対して希望をかけた。永遠に混乱せしめたもうな。」
「信仰は、心から、世界をとらえること、感覚の塵埃をもって満足しないことにある。
理性の人間が見た世界のと信仰の人間が見たそれとの距たりは、―女を見て渇望するものとその女を妻とするものとの違いである。
いっさいの生は信仰の行為である。信仰なしには、生はたちまち崩壊するであろう。強固な魂は時間の動揺常なき土の上を歩む、ペテロが湖水の上を歩くように。信仰をもたないものは沈む。
「他の生への希望を持たぬ者は、すでにこの生から死せるなり。」
(ローランド・ド・メディシス)
*
「神は仮説ではない。(仮説は、せいぜい、われわれが神に与える形態である。)神は一つの必要性である。―われわれの本性の必要性であり、われわれの精神を支配する法則の秩序の必要性である。どうしてわれわれはわれわれの本性の法則をまぬかれることができようか?すべての存在にとって幸福はその法則に抵抗して戦うことではなく、その法則と合体し、ストア学派の人々と同じやり方でそれに同化そることである。ストア派においては事物が精神の自由と合一していたのである。
信じることの必要はわれわれの生の行為の一つ一つに内在している。われわれはわれわれの生命の信仰を、われわれを囲むいっさいに吹きこむのである。そのいっさいをわれわれの尺度に合わせることによって。それはわれわれの権利であり、われわれの義務である。もしも動物がものを考えるとしたら、世界は彼らの要求をみたすために作られたのだと彼らは信ずるだろうと、人は嘲笑していった。それでは何故いけないか?存在するいっさいは、もっとも卑しい者らにも、もっとも高いもののためにも存在するのである。すべての存在は永遠の『生命』に参加する、しかし彼らの力に従ってするのである。自分の身体の絆から脱して、その永遠の生命に浸りうるものは幸いなるかな!
存在は自己の法則を創る、と人は言う。むしろ法則が存在を創ったのではどうしていけないだろう?―しかし、一つの存在の法則はその存在の生命の形である、と人は言うだろう。―それはそうだ!しかしどうしてそれは一つの形をとったのか?―それ(形)なくしてはそれ(生命)は全く存在しないはずだ。―しかし誰がそれに存在を強いたか?―若干の条件だ。―従ってその存在を創ったのはそれらの法則である。
それらの法則を創ったのは誰か?原子の運動と偶然の戯れか?しかし誰が原子をつくったか、運動を、偶然を?―それらは永遠に存在したのである。―その永遠というのは何か?宇宙がいかに広大であるにしても、始まったはずである。始まったのでなかったら、『
永遠』が存在するからである。―始まったのだったら―なおさら確かにそうである!」
*
(この後に、物質の永遠性、運動、意識に関する長い思索がつづく。―「一つの品質でないもの、そのものであり、屈折の中心であるもの、―約されない素数、―いわば、分割できない原子である……」)
*
われわれの信仰はわれわれの力の尺度である。なんとなればわれわれの信仰の偉大さはわれわれの存在の身長によるものだからである。私がより多く存在すれば、いっそう私は信ずるのである。
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(次のノートはいっそう直接に『聖王ルイ』に関連している。)
「神はそれを欲する!―民衆を引きつれて行くこの息吹……
民衆の中にとるとしても、それは今日国家と国家とを衝突させているものとあまりちがわないのである。しかしこの盲目的な推力のもとに、人はすでに力強い一つの信仰をみとめる。三つの要素―(一)行動(二)献身(三)希望。―それらはヨーロッパの民族たち
を十字軍へと率いてゆく。そしてそれは信仰のもっとも高い行為の中の三つである。自由に、全的に彼を行動に―しかもなんという行動に!―引き入れるまでにその存在を信じるのである。犠牲に身をささげる―しかしなんと高い生のためだろう!
もっとも高貴な人々―諸侯や国王の場合には、より反省をともなった。より美しい感情が伴う―主にたいする(主人物の)崇拝、世界でもっとも悲哀ふかいもの、彼の主の苦悩にたいする悔悟、その苦悩を償いたいという渇望である。それはみな正しく真実である。『聖地』における戦いによる、永遠の生命への彼らの希望もまた正しく真実である。この思想のための献身は、たとえ思慮が十分でなくとも、たとえ誤っていても、人間的条件の上に高め、永遠性に参加させるのである。
最後には、神自身の意思にたいするそれらの人物たちの信仰と、人間の行為にたいする神の意志の関与の問題がある。―しかし神的なものに行動的な生命を付与することなしに、それを信ずることが強力な人格にとってできようか?『精神的な』英雄、善の英雄は、自分と同じような精神的な人格、自分よりもさらに力強い人格、自分が生涯においては手を染めることしかできないことを成し遂げうるような力をもった人格を信じないではいられないであろう。自分の目的と自分の仕事に自然全体を結びつけないような者は偉大な人間ではない!」
*
(次に『……』とジュリー・ド・レスピナス[才気をもって知られた18世紀のサロンの女主人]
からの引用がある。―それはこの問題からはまったく予期していなかったことであるが!…しかし、私にとっては、信仰をもつだけでは十分ではなかった。情熱的に信仰をもつ必要があった。)
「合理的な情熱しかない。」―「中途半端なものほど、決まらないことほど、私の嫌いなものはない。」
した信仰の激しい「弁明」の極点は一八九四年十月ノートに確言されている。
「カトリシスムによって教えられた教義の全体は、理性のみによって、理性のみの上に建てられたすべての教義よりも、真実であり、あるいは真理により近いのである。―それは、それらの真理が『啓示され』、神から人間に伝えられたからというのではなく、それは幾世紀このかた、信仰を有する人々の中でももっとも偉大な人々―人類の中でもっとも聡明な人々、真に聡明な唯一の人々によって考えられ、練り直され、議論されたからである。」
“ロベスピエール”1939
老婆 しかしわしらが考えるにゃ、いちばん貧乏なものがいちばん権利があるのがよくはないかな。
ロベスピエール(とつぜん感動し、温和になって) お前の言うことはほんとだ、わしもそう思うよ……(感激して)ああ!小母さん、彼ら貧しい人々を基本にして、彼らのために共和国を立てたらどんなにいいだろうな!金持ちどもにとっては、革命が不法なもうけや、買い占めや、詐偽や、略奪の機会にすぎなかったことはよく分かっているだ!革命のほんとうの味方、惜し気もなく革命に身をささげたのは貧乏人や、百姓や、労働者で、成金共の食いものにされてる人たちだということはよく分かってるんだ!彼らをまもろうとわれわれは必死になってるんだ。しかし彼らには分からないのかな、共和国が多くの敵にとりかこまれているかぎりは、まだわれわれは彼らに、貧民たちに、われわれの味方に、いろいろな犠牲を、金持ちたちとの妥協もねがう必要があるのだ。国王たちや彼らの軍隊を防ぐためには、金持ちどもの協力が祖国には必要なのだ。金持ちと貧民の統一戦線をつくることが、いやおうなしに必要なのだ。なぜかというと、今はどちらもが、フランス全体が、われわれがわずかに築くことができたわずかのものが、生きるか死ぬかの瀬戸ぎわなんだから!……もっと先で、祖国が救われたら、革命がふたたび前進をはじめるだろう。これまでも一度ならず勝利をえてきたんだから、また幾度も勝つだろう、もっと大きな、民衆の戦いに。しかし、まず生きなければならないんだ、そして、生きるためには、征服しなければならない。頑ばってくれ!
老婆 わしゃやってもよいわ、わしゃ何もあてにゃしてないからな!わしはがまんするさ……じゃが、他の連中は急いでいるのさ、あんまりいろんな約束をきかされてきたからな!よく言うように「先の約束より今日の一つ……」じゃ。パリのだんな方が鼻先で見せびらかす「約束」ってものは、もうあんまり信用しないからな!「あの人たちは何をしているだろう?」って不審におもうさ…議論して時間をつぶしてるのじゃな。一方が勝とうが、片っ方が負けようが、それがどうしたというのかな、このわしらに?わしらは、いつもかつも負けじゃ。
ロベスピエール お前、そりゃまちがってるよ、小母さん。お前は彼らをみんないっしょくたにするのかね?
老婆 いっしょにまぜるのさ、どれがどうだかわかるもんかい!……以前には、わしらには立派なマラーさんがあったけれど……わしらのロベスピエールもあったけれど……もうだいぶ前から、あの人はわしらのためにゃ何もしないんじゃ。
ロベスピエール しかし数ヶ月前に、容疑者たちから取りあげた財産は貧民に分配するということを彼が約束したということだよ。
老婆 そうじゃったな…いくら約束してもなあ!……何が見られるかいな?
ロベスピエール 多分彼も思うようにはやれないかもしれない……
老婆 多分な……それじゃ、なんじゃないかな、めいめいが自分の畑のめんどうをみて、パリの連中のは、自分で勝手に仕末をつけさせた方が……それがまっとうじゃないかな?……そりゃお前にゃつらそうじゃなあ?
ロベスピエール(悲しげに) そうだ、小母さん、わしのつもりは……わしの思い違いだったが……立派な人間をみんな団結させることができるだろうとおもっていたんだ……
老婆 そりゃできるかも知れんな、もっと先、もっと先で、お前!気を落とすじゃねえ!わしらは生きちゃいないさ、それができるときにゃ。それでもそれができさえすりゃ、わしらがいようがいまいが、そりゃどうでもよいさ!……わしゃたしかにそうおもうよ、お前は自分がいなくなってからでも、それができると知ったら満足するじゃろうと!
ロベスピエール(おどろいて) どうしてお前それがわかるかね、小母さん?じゃわしをしってるかね?
老婆(いたずらっぽく) もしかしたらお前も、そのロベスピエールというのを知ってるのかも知れんの?
(彼らは愛情のこもった了解のある微笑をかわす。下の方から、シモンが呼ぶ声が聞こえる)
シモンの声 マクシミリアン!
(ロベスピエールは立ち上がって去る)
―幕―
ダントン おれは「自由」のためにあらゆる罪を犯してきた。偽善者どもが避けていた怖ろしい仕事を全部ひき受けたのだ。おれは一切を「革命」のために犠牲にした。しかも今にしてよくわかることは、それが無駄であったということだ。このあばずれ(革命)はおれをした。今日はおれがその犠牲になり、明日はロベスピエールがやられるだろう。この女の臥床へ入って行く者が順番にやられるのだ。―なあに!おれは何も後悔しない。おれはこの女を愛している。こいつのためなら、おれは恥辱を受けても満足だ。「自由」を抱きしめることもないような気の毒な奴らをおれは憐れむ。一たびこの神聖なと唇を合わせたからにはもう死んでもいいはずだ。生きた甲斐はあったのだから。
裁判長(陪審官たちに) ―国民の代表に対する攻撃誹謗をこととし、王政の回復を目論み、かつ政府を腐敗せしめこれを破壊せんとする陰謀が行われたことは事実である。―国民公会議員、弁護士ジョルジュ‐ジャック・ダントンはこの陰謀に加担したか。
主席陪審官 しかり。
裁判長 国民公会議員、弁護士リュシ‐サンプリス‐カミーユ・デムーランはこの陰謀に加担したか。
主席陪審官 しかり。
裁判長 国民公会議員、デグランティーヌことフィリップ‐フランソワ‐ナゼール
・ファーブルはこの陰謀に加担したか。
主席陪審官 しかり。
裁判長 国民公会議員、元判事ピエール‐ニコラス・フィリボーはこの陰謀に加担したか。
主席陪審官 しかり。
裁判長 旅団長フランソワ‐ジョゼフ・ヴェステルマンはこの陰謀に加担したか。
主席陪審官 しかり。
フーキエ‐タンヴィル 本官は法律の適用を請求する。
裁判長 では当裁判所はジョルジュ‐ジャック・ダントン、リュシ‐サンプリス‐カミーユ・デムーラン、マリー‐ジャン・エロー‐セシェル、デグランティーヌことフィリップ‐フランソワ‐ナゼール・ファーブル、ピエール‐ニコラス・フィリポー、フランソワ‐ジョゼフ・ヴェステルマン、以下六名にに死刑を宣告する。―当裁判所はこの判決を当裁判所付属拘置所の小窓より被告に伝達することを裁判所書記に命ずる。―刑の執行は本日すなわち十六日、革命広場においてとり行われる。
(群集散る。(a)屋外では、遠くの騒ぎが徐ろに消えてゆく。舞台の前面に居残ったサン‐ジェスト、ヴァディエ及びピヨー‐ヴァレンヌが黙ったまま冷やかに眼を見かわす。)
(a)ダヴィッドとその友人たち―さあ!これでよし!獣は倒れた、肉を食うとしよう。……国民公会万歳!―彼ら去る。
の老人二人―これをどう思うかね?いやいや黙っているほかないわい。―生きておると、さまざまなことを見せられるものじゃ。
(彼らは肩をすぼめ、頭をふりながら、おそるおそる出て行く。)
ヴァディエ 腐った円柱は倒れた。共和国は息を吹きかえす。
ピヨー‐ヴァレンヌ(凶暴な目つきでサン‐ジェストをじろりと見て) 執政たちがい
なくならぬかぎり、共和国は自由にならないだろう。
サン‐ジェスト(ヴァディエとピヨーとを見据えて) 奸計をこととする貧欲な人間が
いなくならぬかぎり、共和国はらかにならないだろう。
ヴァディエ(冷笑をうかべて) 共和国が無くならぬかぎり、共和国は自由にもらか
にもなるまいて。
サン‐ジェスト 「理念」は人間を必要としない。「神」が生きるために人々は死ぬのだ。
―幕―