家樹のかげ
WORKS EXCERPT
母は私から遠かった〔第一次大戦中、ロランはスイスに、ロランの母はパリにいた〕。妹からの電報が私に悲しい報知をした。私はパリ行きの列車に乗るためにジュネーヴへ急いだ。1914年の春以来、私がパリに行くのはこれが初めてであった。……親しい顔を私は再び見た。母の生命はまだ生きていた。そして病床に釘づけにされながらも母の気の毒な両眼は、息子に再会した幸福にかがやいた。母は意識のある全部を保っていた。彼女はもう話すことはできなかった。そして心に一杯になっていることをもう話せないのでがっかりしていた。無理に話そうとする努力、この骨折り、そして私が傍らにいるための感動が、ついに母の力を打ち砕いた。窒息させる雲霧の中に、母の意識は昏迷した。母がもがき苦しむ有様をわれわれは見た。母は沈んでいく自分自身を見ていた……臨終の無慈悲さの上には、私はヴェールを懸ける……それよりずっと前、私が二十歳の頃、アルブレヒト・デューラー〔ドイツの画家〕の『日記』を読んだとき、デューラーがその母の死の枕頭で書いた言葉のもの凄さに心を緊めつけられたことがあった。この言葉は私の生涯じゅう、私の魂の底にひそんで生きていた。そして私は『ジャン・クリストフ』の中で、このもの凄さを「澄まそう(スレネ)」とこころみた〔モンテーニュの言葉に「嵐を澄ます」というのがある〕。しかし、(約十年早く!)一つの不思議な予感によって、やはり臨終に際してその息子ジャン・クリストフに再会する老ルイーザのほうがいっそう優遇されていた。そして、無慈悲な現実は、デューラーの眼に恐れを焼きつけたような有様を私に直視させた……
今や、母は静かである。母は死んだ、と人は言う。しかし母の額は今も熱い。その温かみはなかなか消え失せはしない。しわのない母の顔は、母が少女であったときに持っていた顔である。なんという平和!母は人生の惨めさから釈き放たれている……ああ、しかし、母は自分の悩みから釈き放たれているとともに、私たちから、私たちの愛から、そして、私たちに対する彼女の愛から釈き放たれている……
「愛が少なければ悩みも少ない。愛が大きければ悩みも大きい。」
と、母はまだ私たちと共に生きていた頃に、微笑しながら言ったことがあった。今では、その母はなんと遠いことだろう!今の母の、この平和の中は、私たちの占めるべき場所はまったくない。この平和の場所に値するためには、彼女と同じように、恐ろしい細道を攀じ登らなければならないだろう。歓喜が多いだけそれだけ苦労が多かった!しかも歓喜と苦労とが、こんなにもよく超えられている。息子が息子であればあるだけ、娘が娘であればあるだけ、私たちの生活の各瞬間は母に充たされていた。そして母は脱却した……
しかし母は自分を脱却させることによって私をも、四分の三以上、私自身から脱却させた。私が地上に結ばれているのは、もはや自分のいくつかの深い根の端によってのみである。そしてすでに、それらの根のいくつかは、その輪を巻きもどして地から離れて空のほうへ向かう……今や私は、一つの岸から別の岸への移り変わ(ヽヽヽヽ)りである。私の両腕が海峡を超えて他の岸へ差し延べられていた幼い頃からこのかた、私はいつでも移り変わ(ヽヽヽヽ)り(過渡・過程)であった。しかし、あの幼い頃には、私の影の額(ひたい)は、別の岸までほとんどとどいていなかった。今や、エトナ火山の影が夕暮に、ひろがりながら降りて、〔メッシナ海峡を超えて対岸の〕カラブリアにとどくように、私は全存在的に移る。私の影が――私の愛する人々が――私に先だっている……
*
私に先だって進む影たちよ、こんなふうにして私は再びあなた達と一体になった!生きていても死んでいても、私たちは同じ肉体である。誰が生者なのか?そして、誰が死者なのか?
《家系の樹の影》!……最も若い枝である私は、この影が前進するのを見ている。これは私の影か、それともあなた達の影か?その影の翼の下に、一つならずの疲れた身体が横たわっている。一つならずの心痛が、眠りの中で憩いについている。フランスの心臓(中心部)であるモルヴァンの、薔薇いろの花崗岩の土地に成長した家系の樹、樫の老木の下で眠れ――この樫の木は、百の世紀の年輪を作りながら、努力して、その梢の円天井を建て、風に打たれ、秋に噛まれた!葉が散り落ちる。眠っている人々よ、夢みたまえ、夢みよう!私たちは再びよみがえるだろう……
「いちばん高い枝で、一羽の鷲が歌った……」