ペギーの二十世紀
WORKS EXCERPT
この世紀の夜明けにあたり、大洋は幾千もの灼熱せる舳によってひきさかれつつあったのである。これらの船はその大部分が、いくつかの大きな旗艦のまわりに寄り集まっていた。なにゆえに、グループどうしが憎みあいながら、別々に集まらねばならなかったのであろうか。自己を主張するというこの情熱は、ほとんどいつでも、たがいに否定をぶつけあう情熱を伴わずにはいないのである。そして、相互対立の激しさがやがて昂じると、それはついにもっとも盲目的な不正にまで転化するのであった。第一次世界大戦にさきだつあの輝かしい数年(それはこれまで、たえずおとしめられ、そしられてきたが)には、そのような不正の記憶すべき例証がいくつか見られた。ペギーの例証はその最小のものとはいえない。あらゆる人々のうちでも正義(ジュスチス)をもっとも熱望していたがゆえに、彼はかえって、あらゆる人びとのうちでももっとも苛酷な正義(デユ・ド・)拒否(ジュスチス)〔法律用語では裁判拒絶、すなわち裁判官が裁判をおこなわぬことを意味するが、一般的な意味では他人にたいして当然認めてよいことを認めまいとする行為をさす〕を幾度か犯した。私はそれらの行為をいっさい隠しだてせぬつもりでいる。彼ほどの偉大さ――天才も、また心情も――の持主は、その全貌を知られねばならないのである。
ともあれ、精神の情熱がこれ以上にかきたてられたことはいまだかつてなかった。精神の存在の基礎そのものが、これ以上に思いがけない仕方で問いなおされたことは、いまだかつてなかった。精神にさしだされた新しい賭金がこれ以上に心をたかぶらせたことは、いまだかつてなかった。思想の世界はそのために動?した。
これはまさに、二千年来精神を支配してきた人間精神への壮大な信念が、すなわち《理性》――かつてその雷は一閃してエレアのパルメニデスを貫いたのであった――の神秘主義が、破局的に揺さぶられたということにほかならなかった。二十四世紀以前に、かの《真理のための真理を奉ずる神秘神学》(やがてペギーもおなじものを援用することになったが、ただしあとで舵を反対の方向にぐいと廻したのである)は、ドリア思想を押しあげ、そしてかの偉大なるエレアの学徒の馬車を駆って、理性の陶酔の中へと押し運び、めくるめく断崖にむかってひた走りに走らせたのであった。精神の眼はその断崖に立って、光明に満てる深淵を見下ろした。――生成もなく、滅びることもなく、始めもなく終りもなく、場所がかわることもなく、時間の外にあって、時間も感覚界も否認する《存在(エイナイ)》を、《唯一者》を……。不動の《唯一者》を……。創造せられずして元初から存し、破壊せられることのない《ある》ものを……。「そして、思惟せられることができるものと、それにかんする思惟が存在するものとは、唯一にして同一のものである……」《理性》は《存在》である。そして《理性》をのぞいてはなにものも《存在》ではない。
プラトンは、《われらの師、偉大なるパルメニデス》――パルメニデスは彼が《偉大なる》という称号を付与した唯一の人なのである――のいう《まんまるい球のような》単一にして完全なる《存在》、すなわち真理をば、彼のいわゆるもろもろの《イデア》に分割したに過ぎなかったのであった。――そして彼以後は、全問題は生成へ、感覚界へ、経験へと、いかにたちもどるかに限られていた。ただしそれも、根本的な《統一(ユニテ)》から出発し、そして《理性》の天空の絶頂、すなわち《存在》の太陽を眼から離さない、という条件づきでのことであった。数世紀にわたって重ねられた努力が、またこの諸世紀の真髄が、執拗に専念してきたのは、理性の法則の網の網目を編むことであり、また事物の変動する波浪のうえに、人類の連続的生成のうえに、理性の隼を飛びかからせることであった。精神は、自然のメカニズムをわが支配下に抑えこんだものと思って得意がっていた。
そしていまや、この皇帝のごとく君臨する《理性》の最盛期にあたって、まさにその権力が――それはじつに長きにわたって選良の特権としてとどまっていた――大衆まで拡がろうとしているかに思える時刻に、そして、その秘密を胸中にたたんでいるものと信じたパルメーデスの誇らしげな言い方によれば《法と正義》が、まさに《人間たちの踏みゆく小道》を踏み進もうとしている時刻にあたって、――合図の鐘の鳴り響くこの時刻にあたって、《理性》の選良は、最初の揺さぶりが自分たちの僭越な確信を脅かそうとしていることに気づいた。世紀の蝶番(ちょうつがい)が1900年という柱を廻りきらないうちに、マックス・ブランクが物理の第一原則、すなわち連続の概念を揺り動かした。五年後には、アインシュタインが《相対性》理論の基礎を築いた。地面は揺れていた。そしてその震動は精神に伝わっていった。哲学は熱に憑かれたように、その重苦しい独断論から眼ざめつつあった。思想の新世界に夜が明けようとしていた。この世界は神秘的な躍動によってぐいぐい持ちあげられるのであった。そしてそれは、熱狂と戦闘との雰囲気のなかで爆発した。