ジャン・クリストフ 音楽
WORKS EXCERPT
Du holde Kunst, in wie viel grauen Stunden
優しい芸術よ、おんみは何と多くの灰色の時間の中で……
生が過ぎ去る。肉体と魂とは一つの潮のように流れて行く。歳月は、老いる樹木の肉の上に書き記される。有形の全部の世界は使い古されては再びまる。おんみだけは過ぎ去らない、不滅の《音楽》よ。おんみは内面の海である。おんみは深い魂である。おんみの明るい眸の中に、人生はその陰気な顔を映さない。おんみから遠いところで、雲たちの羊群のように、熱い、冷たい、熱病じみた日々の列が、不安に駆られながら走り去り、それらの日々は何ものによっても決して引き留められることはない。おんみだけは過ぎ去らない。おんみは世界の外に居る。おんみは、おんみだけで一つの世界である。おんみはおんみの太陽を持っており、その太陽が、おんみの遊星たちによるを、おんみの重力を、おんみの数理とおんみの諸法則とをつかさどる。おんみは星たちの平和であり、星たちは、夜の空間の畠に、彼らの光の畦を引く――それらの銀色の鋤をみちびくのは、人の目に見えない牧者である。
音楽よ、な、明るい女友だちよ、地上現実の日光の鋭いきらめきに疲れた目に、月光のようなおんみの光は優しく、こころよい。人々が飲むために、彼ら自身の足で踏んで水盤を濁らす、共同の井戸に顔をそむける魂は、おんみの胸に身を押しつけて、おんみの乳房から、夢の乳の流れを吸う。音楽よ、処女であり母である音楽よ、その無垢の肉体にはあらゆる情熱が宿っており、氷河から流れてくる蒼ざめた緑の水みたいな色の、燈心草の色の、おんみの眼のみずうみの中に、あらゆる善とあらゆる悪とがふくまれている。――おんみは悪を超えている。おんみは善を超えている。おんみを住家とするものは、世紀の経過の外に生きる。その者の日々の連続は、ただの一日にほかならないだろう。そしてすべてのものを噛みくだく《死》は、その《一日》を噛み破ろうとすれば歯を折るだろう。
音楽よ、な、明るい女友だちよ、地上現実の日光の鋭いきらめきに疲れた目に、月光のようなおんみの光は優しく、こころよい。人々が飲むために、彼ら自身の足で踏んで水盤を濁らす、共同の井戸に顔をそむける魂は、おんみの胸に身を押しつけて、おんみの乳房から、夢の乳の流れを吸う。音楽よ、処女であり母である音楽よ、その無垢の肉体にはあらゆる情熱が宿っており、氷河から流れてくる蒼ざめた緑の水みたいな色の、燈心草の色の、おんみの眼のみずうみの中に、あらゆる善とあらゆる悪とがふくまれている。――おんみは悪を超えている。おんみは善を超えている。おんみを住家とするものは、世紀の経過の外に生きる。その者の日々の連続は、ただの一日にほかならないだろう。そしてすべてのものを噛みくだく《死》は、その《一日》を噛み破ろうとすれば歯を折るだろう。
私の悲しみの心を揺すってくれる音楽よ、私の悲しみの心を、静かな、確固とした、よろこばしいもにしてくれた音楽よ――私の愛、私の宝であるものよ――清らかなおんみの口に私は接吻する。蜂蜜の色のおんみの髪のなかに、私は顔を埋める。燃えて痛む私の瞼を、おんみの両手の、やわらかなたなごころの上に当てる。私たちは沈黙する。私たちは眼をとじている。しかも私は見る――おんみの眼の、言いようもない光を。私は飲む――おんみの無言の口の微笑を。そして私は、おんみの心臓の上に身をかがめて、永遠の生の鼓動に聴き入る。
音楽創造の泉
クリストフの音楽創造は清澄な形をとるようになっていた。それはもはや春の嵐ではなくなっていた。かつて集積し、爆発した春の嵐はもう消え去っていた。それは夏の白い雲たちであった。雪の色と金いろとの山々であった。光でできている大きな鳥たちであり、それらは、ゆっくりと飛翔していきながら大空をいっぱいに充たす……創造すること! 八月の静かな太陽に熟す麦……
まず初めに、さだかならぬ、そして力づよい睡たさ。充実していく葡萄の実の、ふくらんでいく麦の穂の、身ごもっている女がその体内の果実をはぐくんでいるときの、漠然としてほの暗い歓喜。パイプ・オルガンの一陣のどよめき。蜜蜂たちが巣の奥でうたっている蜜房……秋の蜜蜂の輝きのようにほの暗い金いろの、この音楽を主導しているリトムが少しずつはっきりと現れ出る。遊星たちののかたちが描き出される。その輪舞が旋回する……
そのとき意思の力が現れる。意思の力は、いなないて通る《夢》の背に、馬に跳び乗るように跳び乗って、両膝のあいだに《夢の馬》をしっかりと制御する。精神が、精神に方向を示しているリトムの諸法則を認識する。精神は、不規律な諸力を統御して、それらの力へ、道を確実に示し、精神が行くべき目標を与える。理性の力と本能の力との交響が有機的に形づくられる。暗さが照明される。ほぐれて延びる道筋の長いリボンの上に、距離をおいてところどころに、光の焦点が浮かび上がり、そしてそれらがやがてまた、作品の創造過程の中で、それら自身の小さな天体の焦点をそれぞれに形づくり、そんな天体の焦点は彼らの太陽系の範囲へ結びついている……
音楽形象の大きい輪郭が今や確立された。今やその形象の顔が、おぼろな曙の中から見えてくる。すべてが一層はっきりしてくる。色調の諧和と、いろいろな形の特色とが明瞭になる。この作品を仕上げるために、存在の提供するあらゆる力が方法の中に用いられる。記憶の香炉の蓋が開けられる。そしてその薫香が流れひろがる。精神が、諸感覚を束縛の状態から解き放つ。精神は、諸感覚が無我夢中になるにまかせながら――黙り込んでいる。しかし精神は脇にしりぞいて様子をうかがいながら、自分のための獲物を選び取る……
万端の準備ができている。実施する働き手たちの群れが、精神の計画による仕事を、諸感覚から精神が奪取して保存している材料を用いて建造する。偉大な建築家に必要なのは、自分自分の専門技術をよくしており、そして実力を充分に使う、すぐれた働き手たちである。大伽藍(カテドラ-ル)の建造が完成に向かって進められる。
《そして神は自分のした仕事を総観する。そして神は、それがさとる》
巨匠の視力は、自分の創造の仕事の全体をいちどきに観る。そして彼の手が調和をしあげする。
夢が完全な形に具体化した。Te Deum……(神よ、われらはおんみを讃え歌う……)
夏の白い雲たち、光でできている大きな鳥たち、それらがゆっくりと飛翔して行く。そして空全体が鳥たちの翼に蔽われる。