ジャン・クリストフ 生きる新しい力
WORKS EXCERPT
ある晩、彼は自分の机の上に肘をついて、の灯に照らされて独りでいた。窓に背を向けていた。仕事をしていなかった。数週間以来仕事が手につかなかった。頭の中では何もかもが渦巻いていた。宗教、道徳、芸術、人生の全部をいちどきに疑っていた。そして彼の考えのこんな全般的な解体の中に、どんな秩序も方法もなかった。祖父の風変りな蔵書、あるいはフォーゲルの蔵書から手当たり次第に持ち出して来た書物を彼は読みった。神学、科学、哲学の本、それらはであり、解ろうとしても解りようがなかった。どの本をも彼はしまいまで読んでしまうことができず、途中で道草を食ってしまい、彼には疲労感と、大きな悲しさが残るのだった。
今晩彼は、ぐったりさせる、した気もちに沈んでいた。家中の人は皆もう寝しずまっていた。彼の室の窓はひらいたままだった。中庭からは、少しの風も吹いて来なかった。厚い雲が空を塞いでいた。クリストフは燭台の底へと燃え尽きて行く蝋燭を、うつけたように見つめていた。彼は寝床につく気になれなかった。何にも考えていなかった。一瞬一瞬と深く掘られていく虚無を、彼は感じていた。彼は彼を引きつけるを見ないように努めていた。しかも、それにもかかわらず彼は、その深淵の縁に身をかがめてのぞいていた。空無の中に混沌が身うごきし、闇がうごめいていた。彼は不安に心をつらぬかれ、ぞっとして、寒気を感じた。落ちないために、机にしがみついた。彼はしながら待ち受けていた。――言いがたいものを、一つの奇跡を、或る「神」を……
突然水門がひらかれたように、彼の背後の中庭に、重い、太い、まっすぐな雨が音をたてて降った。水の氾濫。不動の大気が震えた。乾いて固い地面が鐘のように鳴った。灼熱して一匹の動物みたいに温かい大地が、きつい匂いを発散した。花と果物と、恋している肉体との薫りが、激しさととのために痙攣しながら立ち昇ってきた。クリストフは幻覚にかれている状態で、全存在が張りつめながら、はらわたの中まで身震いした……幕は裂けた。まぶしさに目のむ思いがした。閃光によって彼は夜の奥底を見た。彼は「神」を見た――と同時に、彼が「神」であった。「神」が彼のにいた。「神」が、室の天井を、家の壁を破った。存在のいろいろな限界を、その「神」がさせた。「神」が、空と宇宙と虚無とに充満した。瀧つ瀬のように、世界が「神」へとなだれ込んだ。クリストフもまた、このなだれ込みのさと恍惚との勢いの中に引きずり込まれて、自然の諸法則をしべのように吹き飛ばしきくだく旋風に運ばれた。息もつけなかった。「神」のこのなだれに彼は酔っていた……深淵である「神」! 渦巻である「神」! 「実在」の烈火! 生の大旋風!目標もなく、制約もなく、理由もなく、ただ、生きることの烈しい喜びのために生きる、生の狂愚!
*
危機が去るとクリストフは、もうずいぶん永いからなかったような深い眠りに落ちた。眠りから覚めて翌日は頭がまとまらなかった。酒に酔っ払った後のようにぐったりしていた。しかし心の底には、前夜彼を圧倒したあの幽玄で力強い光の反映が残っていた。彼はその反映を今一度強めようと試みた。しかし、それはむだな努力だった。彼がそれを追い求めれば求めるほど、それは捕まえられなかった。そのとき以来彼の精力は、あの一瞬時のをよみがえらせようとする努力のために絶えず緊張した。無益なこころみであった。恍惚感は、意思の命令には全然従わなかった。
とはいえ、あの神秘的恍惚の発作は、あのときだけのことではなく、その後も幾度か繰り返してきた。しかし最初の時ほど強度なことはその後なかった。そういうことの起こるのは、それをクリストフが最も予期しないときであり、それは非常に突然で、非常に短い瞬間であった。――それは、眼を上げた瞬間とか、腕を差し出した瞬間とかであり、ヴィジョンは、それと気づく間にもう過ぎ去っていた。そしてそれが去った後では、自分は夢を見たのではないかと、クリストフは自問した。あの夜の炎の流れの後では、視力がの間つかむかつかまないかの、もろい細かい光の粉末が見られた。しかしそれらの光の粉末は、その後ますますたびたび現れ出た。そして遂にはそれらがクリストフを、常住の、そこはかとない夢の円光によって取り囲むようになり、彼の精神はその円光に溶け込んだ。この、半ば幻覚的な状態から彼を遠ざけることのある一切のものは彼をいらいらさせた。もう音楽の仕事をすることができなかった。彼は仕事のことをもう考えさえしなかった。あらゆる人とのつき合いが彼には嫌になっていた。そして最も親しい人々との交わりが最も嫌に感じられた。母との交わりさえがそうだった。なぜなら、最も親しい人々は、彼の魂に対する権利をますます我が物顔に主張したから。
外出して昼間じゅう外で暮らすことが習慣になり、夜になるまで家に帰らなかった。彼は野原の静寂の中に行って、一人の狂人みたいに、心ゆくばかり自分の固定観念的なもの思いにふけろうとした。――しかし、心を洗う大気の中で、大地に触れていると、固定観念のむすぼれはほぐれて、それらの観念は、幽霊じみている性質をなくした。彼の心の高揚がそのために減るわけではなかった。むしろそれは倍加した。だがもうそれは精神の危ないではなく、それは全存在の健康な酔い心地であった。肉体と魂とが力にみなぎり酔っていた。
彼は世界をふたたび見出したが、その時の彼は、「そのときまで自分は全然見ていなかったのだ」という気持ちであった。これは新しい一つの幼なごころであった。魔法の言葉が――「胡麻よ、ひらけ!」とえたかのようだった。自然がばしさに輝いていた。太陽の光が沸き立っていた。液体のような大空は、透明な大河のように、流れていた。地は悦楽のため息を切らしながらっていた。草と樹と昆虫と、無数の生物たちは、空気の中を舞い降りながら立ち昇る生命の大きな火の、ちろめくたくさんの火花の舌だった。すべてが喜悦の叫びであった。
創造する力 芸術
クリストフが光のほとばしりを受けたとき、電波の放射のようなものが彼の体を流れわたった。彼はぞっとして身震いした。広い海の沖合で、真夜中に急に陸地を見たかのような気持ちだった。あるいは、群集のただ中で、二つの眼の深い力に射られたかのようであった。彼の精神が空無の中でもがいていた意気の時間の後に、たびたびこんなことが彼に起こるのであった。しかしさらにたびたびこんなことが起こる場合というのは、彼が全く別のことを考えながらしゃべっている時とか散歩している時とかであった。彼が路上にいる時にはある礼儀の感情に制せられて、自分の喜びにあまり声高い表現を与えないようにした。しかし自分の家の中ではそれを妨げる何物もなかった。彼は幸福感にあふれて足を踏み鳴らし、勝利の譜を響かせた。母もその譜をよく知っており、それが何を意味するかも知っていた。母はクリストフに言った――「おまえはまるで卵を生んだばかりのみたいだね」、と。
彼は音楽の意想に全く心を貫かれていた。時々それは、まとまって完璧な旋律の形を取るかと思うと、さらにいっそうたびたびそれは、一つの作品全体を包んでいる大きい星雲のような形を取った。作品の構造とその大まかな輪郭とが一つのヴェールを通じて見分けられ、そしてヴェールは、的に際立ってくっきりと影のなかから出ているまばゆい幾つかの楽節によって所々引き裂かれた。それは一にすぎなかったが、また時としては、閃光が幾つも相次いできて、その一つ一つが暗闇の、それぞれ別な隅々を照らした。しかし普通には、気まぐれな力が思いがけない時に一度だけ現れた後数日間は、一本の光の水脈を心に残しながら、ふしぎな隠れ家の中に隠れて消え去るのだった。
この霊感の楽しさがたいそう鮮明な感じだったためにクリストフは、それ以外のことがきらいになるほどであった。経験のある芸術家がよく知っていることなのだが、霊感はまれにしか来ないものであり、そして直感的にんだ作品を仕上げるのは知性の役目である。芸術家は自分の芸術意想を圧搾機にかけて、その意想を充たしふくらませている霊感の果汁の最後の一滴までしぼりとる――(そして、あまりにもしばしば彼は、その果汁にきれいな水を混ぜて薄めることさえもする。)クリストフはまだあまりに若く、そして自信がありすぎたので、こんなやりかたを軽蔑していた。徹頭徹尾自発的でないような作品は一つも作るまいと考えていたが、じつはそれは実現不可能の夢想なのであった。もしも彼が故意に自分の心の眼を見えなくしているのでなかったら、彼のそんな意図の不条理なことを、造作なく悟ったことであろうが。彼は確かにそのころ、どんな空虚さの滑りこむ隙間もない、創作力のの時期にいた。すべてが彼にとって、汲み尽くせない創作力のきっかけになった。彼の眼が見、耳が聞くすべての物、日常生活の中で彼が出くわすすべての物、一々のまなざしや言葉が、彼の魂の中に、夢の収穫物を実らした。彼の思想の無際限な空の中に、千万無量の星々が運行した。――しかも、そのころですら、すべてが一挙に消え去る瞬間があった。そんな闇夜が決して長続きせず、精神の無言が長引くために悩むことはほとんどなかったとはいえ、彼は、彼の精神を訪れて来ては立ち去り、また戻って来ては消え去る、この未知の力にれを感じないではいられなかった。……今度はどれだけ長い間〔その未知の力の来ない時期が〕続くのだろうか?それはもう決して戻って来ないのだろうか?――戻って来ないと考えることを、彼の誇りが退けた。そして言った――「あの力がぼくなのだ。あの力がもう存在しなくなれば、その瞬間からぼくも存在しなくなるだろう。そうなればぼくは自殺するだろう」――彼は身震いを禁じ得なかったが、しかしそれがまた一つの楽しさでもあった。
創作の泉が涸れてしまう恐れはさしあたりなかったとはいえ、しかしその泉が、たった一つの作品をすっかり仕上げるためにも十分ではないことを、すでにクリストフは認めていた。楽想はほとんどいつも、の素材の形で与えられる物であり、それを洗練してを取り去ることに苦心しなければならなかった。それらの意想はいつも非連続的に、突発的に心に浮かんだ。それらの間に脈絡を作るためには、思慮深い知性と冷静な意志といった要素を加え、それによって、楽想で一つの新しい存在をえださなければならなかった。クリストフは十分に音楽家であったから、自然そんなふうにやっていた。だがその事実を承認する気にならなかった。自分の心に生まれてくる楽想を、他人にもわかるように表現するには、がでも常に多少とも変形する以外に道はなかったにもかかわらず、彼自身は、その意想をそっくりそのまま表現する仕事だけをしているのだと思い込んでいた。――彼は自分の楽想の意味を全く取り違えて表現していることさえあったのだ。意想が非常な力で彼の心をつかんだときでも、その意想の意味している物を彼がどうしても表現できないことがしばしばあった。楽想は、意識の始まる境界よりはるかに奥の、「存在」の地下の領域の中に侵入していた。そして、普通のどんな尺度でも計れない。全く純粋なこの「力」のなかでは、意識では、意識を動かすどんな先入観念をも、また、意識が定義し、意識が分類するどんな感情をも、即知のそれとして認めることができないのであった。いろいろな喜び、いろいろな悲しみ――それらは皆、無比の一情熱となって溶け合っており、意識の悟性でつかみ取ることが不可能であった――なぜならこの唯一無比の一情熱は知性を超えているものであったから。――しかもまた、知性がそれを理解するにせよ、しないにせよ、知性はこの力に何らか一つの名称を与えたい要求を持っており、人間が自分の頭脳の蜜房の中でまずまず作り上げる論理的構築の一つへ、この力を結びつけたい要求を持っていた。
それゆえクリストフは、自分を動かす幽暗な力には一つの明確な意味があり、そしてこの意味はクリストフ自身の意思と一致しているのだ。と確信していた――確信したがっていた。深い無意識の奥から湧き出る自由な本能力からは、それとは何の関係もない明瞭な諸観念と、理性の拘束力の下で結合することを、良かれ悪しかれ強制された。しかしこんな作品は、クリストフの精神がもくろんでいた大きい多くの計画の一つを、それの本当の精神から外れながら組み立てた仕事にすぎなかった。彼の精神がつかんでいた野生的な力には全く別の意味が含まれていたが、その意味を彼自身が知らないでいた。
パリの芸術への臭気 広場の市
こんな芸術は、観れば観るほど臭気がはっきり感じられてきたが、これはそもそも最初から鼻について、やがて息づまりそうに迫ってくる臭気――死の臭気であった。死がこんなぜいたくさと、こんなにぎわいの奥の至る所に潜んでいた。クリストフが幾多の作品を観ていきなり感じた嫌悪の情の理由が今や彼にはっきりとわかってきた。それらの作品が道徳的でないから腹がたつというわけではなかった。道徳、不道徳、非道徳――すべてのこんな言葉に何の重要な意味もありはしなかった。クリストフはどんな道徳上の理論も作り上げたことは決してなかった。過去の非常に偉大な詩人達や非常に偉大な音楽家達のうち、な聖人ではちっともなかったような人々を彼は愛していた。偉大な芸術家達に出くわす幸運をもったとき、彼はその人に、その人の道徳的見解を問いただしはしなかった。むしろ彼はその人に、このように問うた――
「君は健康かね?」と。
健康であることが大事なことだった。「詩人が病気にかかっているなら、彼はまずその病気を治すがいい。病気が治ったら、詩を書くがいい。」とゲーテは言った。
パリの文人達は病人であった。もしくは病気でない文人は、病気でないことを恥ずかしがっていた。病気でない事実を人目から隠して、大いに病気になることを努めていた。彼らの病気は彼らの芸術のこれやあれやの特色、たとえば快楽を好むこととか、考え方の極端な自由気ままさとか、破壊的な批評精神とかに現れ出るのではなかった。すべてこれらの特色は、時と場合に応じて健康だったり不健康だったりすることがありうるし、また事実そんな具合になっていた。こんな特色のどれにも死の萌芽がありうるのではなかった。死が実際にあったとすると、その死はこれらの力から生じてくるのではなく、これらの特色をこれらの人々が使うことから生じていた。死はこれらの人々にあった。――クリストフ自身も快楽が好きだった。彼自身も自由を好んでいた。生まれ故郷のドイツの小都市の世論を敵にする結果になったのも、自分の考えを率直に主張して妥協しなかったせいであったが、今やここでは、これらのパリ人たちによって、かって彼が支持したような考えが説教されており、そして彼らのその説教によって今度はそれらの考えがクリストフにとっていやなものに感じられてきた。確かに考えとしては同じものだった。しかしそれらの思想がもはや同じ音を出さないのであった。じれったい気もちでクリストフが過去の大家たちの束縛を振り払ったとき、そして彼が俗臭の強い美論と道徳とに反対する戦いを始めたとき、それは彼にとっては、これらの家たちにとってのような遊びではなかった。彼は真剣であった。ひどく真剣であった。そして彼の反抗は生のための反抗であった――来るべき数世紀間にわたって良き実を結ぶべき、豊かな生のための反抗であった。この人々の所ではすべてが実を結ばぬ享楽に終わっていた。実を結ばぬ結果になること。実を結ばぬということ。これこそき明かすべき問題の言葉であった。思想と感覚とのにふけってその結果何の実をも結ばないということ。機知と巧みさとに充ちているきらびやかな一芸術――たしかに美しい一つの形、美の伝統、それは諸外国から打ち寄せてくるさまざまの潮にもかかわらず崩れずに保たれている――この演劇はいかにも演劇であり、この様式はいかにも様式であり、この著述家たちは自分の専門技巧を心得ており、この文人らは文を上手に書く。かつて昔には本当に力強いものだったような芸術と思想とのかなり見事な骨組み。しかし骨組みであり骸骨である。響きの高い言葉。音のいい文句。空無の中で相触れて思想と思想とが金属的な音をたてる。機知の戯れ。頭脳の力の肉感的な活動。そして聡明な推理力。これらのものがことごとく利己主義的な享楽以外の何ものにも役立っていなかった。すべてが死に向かって歩いていた。これは、ヨーロッパ全体が黙って見つめており――見つめて楽しみを感じているあの現象、すなわちフランスの甚だしい人口減少ということと肩を並べている現象であった。じつに多くの聡明さと知性と、非常に洗練されている感覚とが恥ずべき一種の自慰作用の中に空費されていた!そのことに彼らは気づかずにいた。彼らは笑っていた。この人々はそれでもよく笑うことができるということ――このただ一事からむしろクリストフはの情を汲み取ってさえいた。この一事だけでもまだ残っている以上、万事絶望ではなかった。大いにきまじめであろうとしたがる時の彼らよりも、よく笑う時の彼らをクリストフはずっと好んだ。芸術の中では快楽の道具ばかりを求めている作家たちが、公平無私の宗教の説教者らしく振舞うのを見かける時、彼は最も腹立たしい思いがした。