インド、ラーマクリシュナ
WORKS EXCERPT
人間が生存の夢をはじめた最初の日から、生存者のあらゆる夢が存在するところがもし地上にあるとすれば――それはまさにインドである。その比いの特権は、バルトがよく示したとおり、大先輩たるものの特権であって、その魂の発達は、マッサレム諸民族の永続とともに連綿としてつづき、いまだかつて中断されたことはなかった。三十世紀あまり昔から、この暖かい土地、神々の熱烈な子宮からは「夢」の樹が聳え立ち、この樹の幾千の枝は数を増して、幾百万の小枝となり、絶えず休まず自ら蘇えり、疲弊の跡も見せず、すべての枝々にあらゆる果実を同時に稔らせてきたのである。そこでは神々のあらゆる形態――もっとも野蛮なものからもっとも醇化された形態――無形の神、名づけがたいもの、無限なもの……にいたるまで相並んで収穫するのである。しかもつねに同一の樹である……
そして交錯したこれらの小枝――同じ樹液に養われる小枝は、その肉と思想をじつにふかく交えているので、大地という巨船の船檣のように、根本から梢頭まで振動して、樹木全体が人間の幾千の信仰の同一のシンフォニーをなす。聞き慣れぬ耳にとっては、初めは、不協和にひびき、混沌としているように思われるこの多音性は、鑑識者にとっては、ひそかな階級とかくれた大秩序であることが明らかになる。
そして、われわれの中で、この秩序を一度味わい知ったものは廃墟の野の中で、ヨーロッパの理性とその信仰――或いはその種々の信仰(いずれもひとしく圧制的であり、互いに否定し合っている)が強制するところの、乱暴な不自然な秩序に満足することはできない。四分の三まで奴隷化し,堕落し、あるいは破滅した世界を支配することは何でもない。互いに相反する諸力を、調和よく、正しい均衡の中に調整することのできる、包含的な、尊敬すべき、結合的な生活全体を支配しなければならない。
これはわれわれが宇宙霊について知りうる最高の科学である。わたしはその立派な例を若干諸君に示そうと試みるのである。彼らの制御力と清明な心境の秘密は「栄光をまといて、しかも働かず、また紡がざる野の百合」の秘密ではない。それらの魂は、裸で行く人々のために衣服を紡いだのであった。迷宮の奥ふかくわれわれを導くアリアーヌの糸を紡いだのである。われわれ自身の密林の中でわれわれの道を見出すために、手首に巻きつけた彼らの?(かせ)を捉えるより他はない。原始的な神々が、われわれの泥になずんで呻いている魂の大きな沼地から、倦み疲れことを知らぬ「精神(エスプリ)」――大空の鵬翼が被う頂まで道は登っている……
ところで、このヤコブの梯子――それによって、人間の中なる「神的」なものの二つの不断の波が空から地へ、登り降りする梯子こそは、わたしが語ろうとする神人――ラーマクリシュナの生涯そのものである。